FIFAワールドカップ・韓国/日本大会
FIFAワールドカップ・韓国/日本大会は、韓国と日本が共同開催した第17回FIFAワールドカップ。大会期間は、2002年5月31日~6月30日。初めてアジアで行われたワールドカップであり、初めての複数国による共同開催。大会前は、フーリガンの暴動などを危惧する声が聞かれたが、大会は無事に成功に終わった。また、寄付金が集まらずに赤字が懸念されたが、円安の影響などで大幅な黒字であった。
| Table of contents |
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2 本大会 3 チケット問題 4 誤審問題 5 大会招致の経緯 |
予選大会
本大会に出場できるのは32カ国で、各地域の出場国の配分は、アジア:2.5、アフリカ:5、北中米・カリブ:3、南米:4.5、オセアニア:0.5、ヨーロッパ:13.5であった。これに、予選を免除された、前回優勝国のフランスと開催国の韓国・日本が加わる。
南米予選では過去最多の優勝を誇るブラジルが予選でなかなか本来の力が発揮できずに苦しむものの、終わってみれば過去の優勝国が勢揃いしたように、順当な結果が多かった。ただ、死のグループに入っていたとはいえ、オランダが予選落ちしたのは意外であった。大の飛行機嫌いで知られるデニス・ベルカンプが早々に代表から引退した影響がなかったとはいえない。
本大会前には、アレッサンドロ・デルピエロ・ロマーリオ・ロイ・キーン・中村俊輔らが代表に選ばれなかったことが話題となった。
本大会
ソウルで行われた開幕戦では、前回優勝国のフランスが初出場のセネガルと対戦。この試合でセネガルが1-0で勝利し、波乱の大会の幕開けとなった。結局、フランスは予選リーグでは1得点もあげられず、予選リーグを敗退した。
アルゼンチン・ナイジェリア・スウェーデン・イングランドが集まり「死のリーグ」とよばれたFグループでは、前回大会の遺恨や両国の歴史的背景からアルゼンチン対イングランド戦が大きく注目された。優勝候補と目されていたアルゼンチンが予選リーグで敗退するという波乱があった。
開催国の日本は、初戦でベルギーと1-1で引き分け、ワールドカップで初の勝ち点を獲得すると、次戦のロシア戦に1-0で勝ち、ワールドカップ初勝利を挙げる。そして、次のチュニジア戦も2-0で勝利し、予選1位通過で、初の決勝トーナメント進出も決める。
もう一つの開催国の韓国もまた、ポーランドなどから初勝利をあげ、予選リーグを1位で通過した。ポルトガルが予選で敗退するという波乱があった。
決勝トーナメントでは、イタリア・スペインに勝利し韓国の快進撃が目を引いた。アジア勢として初のベスト4に進出した。この快進撃に、韓国中が熱狂した。日本は、1回戦でトルコと対戦し0-1で敗れ、初のベスト8進出はならなかった。横浜で行われた決勝は、前評判が決して高いとは言えなかったドイツとブラジルの戦いとなった。優勝回数1位と2位の国同士であるにもかかわらずワールドカップでは初対戦で、注目を集めた。この試合を2-0で勝利したブラジルが5度目の優勝に輝いた。大会の得点王は、ロナウド。
結果的に、前回大会同様、チケット問題には頭を悩ませることとなった。この件に関しては、大会後、FIFAが日本と韓国に1億円ずつ慰謝料を支払うことで決着した。
また、この誤審問題が新聞・テレビ等のメディアで大きく取り上げられるようになったのは、大会終了後からであった。インターネット上の掲示板では、ポルトガル戦直後から大きな話題になっており、メディアによる誤審問題の扱いが不十分であるとの批判もなされた。
その後、開幕戦・組み合わせ抽選会は韓国、決勝戦は日本で行うことが決定する。また、大会の日本語の呼称については、当初は、アルファベット順で「FIFAワールドカップ・日本/韓国」とする予定だったが、韓国の反対でFIFAワールドカップ・韓国/日本に決定した。チケット問題
前回大会の反省を活かして、チケット販売はバイロム社が一元管理し、チケットを記名式にすることで、闇売買を防ぐ仕組みを導入した。しかし、日本ではチケット人気が沸騰し、オークションで高額で売買される事態が生じた。また、インターネット上のチケット販売サイトはアクセスが集中し、購入できない状態が続いた。こうした状況にもかかわらず、実際の試合では大量の空席が存在し、バイロム社の責任問題となった。反面、韓国では、日本と同じ価格ながら韓国人にはチケットの定価が高額すぎたために、大量にチケットが売れ残り、決勝トーナメントですら空席が大量に発生したため、政府が学生を動員して空席を埋める事態となった。これ以外にも、バイロム社の販売能力が低いことが原因で、チケットが試合直前まで到着しない事態が発生した。誤審問題
この大会は、誤審問題が大きく取り上げられた大会でもあった。特に、韓国対ポルトガル戦・韓国対イタリア戦でのポルトガル・イタリアへのカードの多発、韓国対スペイン戦での取り消されたスペインの2ゴールは、物議を醸した。疑惑の判定の結果が異なれば、上位進出候補の強豪国に対して、格下と目される韓国は勝利できなかったと思われる試合が三試合も続いたからである。これは地元チームである韓国へ意図的に有利な判定が行われたのではないかとの疑惑を招いた。事態の沈静化のため、大会中にFIFAが異例の声明を出すほどであった。このため、急遽、準決勝以降では、これまでの異なる大陸から審判を起用する慣例をやめ、レベルの高いヨーロッパの審判で固めた。大会招致の経緯
日本は、サッカー界の活性化をねらって、1988年頃、ワールドカップ開催を構想し、1989年には招致準備委員会を組織する。早くから準備していた日本は、IT技術を駆使して「バーチャルスタジアム構想」(使用していないスタジアムに3次元映像を投影して観戦するシステム)を用意し、史上最大の計400万人がスタジアムで観戦する大会にすることを提案する。一方、韓国は、1994年に招致委員会を組織する。招致活動に出遅れた韓国は、南北朝鮮共同開催案や日韓共催案を持ち出して日本に対抗するが、日本が有利に招致活動をすすめていた。1995年2月、両国は正式に立候補を表明し、9月末にワールドカップ開催提案書を提出する。1995年末~1996年初め頃、日本を推していたFIFAのアベランジェ会長(当時)と欧州勢の軋轢が深まり、欧州勢が韓国を支持しはじめる。こうした状況の中、日韓共催案が現実味をおびはじめる。そして、とうとう開催国を決定する直前の5月30日、「ワールドカップは単独開催」という規則を無視して、FIFA事務局長のゼップ・ブラッターが日韓共催を打診する。共催案を拒否することはFIFAの分裂につながりかねないと判断した日本は、共催案を受け入れる。そして、翌日の5月31日、日本と韓国による共同開催が決定する。






