邪馬台国
やまたいこくと言われるが、日本語読みである。魏志倭人伝の写本中では「邪馬臺国」と書かれている。耶馬台国と書く説もある。
大和朝廷以前の日本にあったと言われる、女王卑弥呼が治めていた国家。当時小国ばかりだった日本では、188年の倭国大乱の後に日本の統一を果たしたとされている。248年に敵国狗奴国との戦乱の最中、卑弥呼が死亡し後、男王がたったが治まらず、壱与が女王になったという。
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2 邪馬台国の表記に関する説 3 邪馬台国に関するその他の説 4 邪馬台国が存在していた時代 5 関連項目 |
邪馬台国があったとされる根拠は魏志倭人伝のみに残されている。場所は魏志倭人伝に書かれている方角表記や距離表記をそのまま信じると、日本列島のはるか南方の海中になってしまう。そのため、さまざまな解釈がなされ邪馬台国の位置は比定されていない。
この邪馬台国の比定地については、古くは新井白石や本居宣長らが書物などに発表をしてさまざまな議論がなされている。これらは邪馬台国論争などとも呼ばれて、日本どころか世界各地までにもその地を求める研究者がいるが、近年では畿内説と北九州説が主流となっている。
畿内説は魏志倭人伝の方角表記が間違っていると考える研究者(主に京都大学系)に多く見られ、北九州説は距離表記が間違っていると考える研究者(主に東京大学系)に多い。
古田武彦らは、魏志倭人伝の写本における表記が「邪馬壹国(邪馬壱国)」となっていることに注目し、実は邪馬台国ではなく邪馬壱国である、と主張している。
一方、「邪馬臺国(邪馬台国)」と言う表記であった場合、これは当時の中国大陸で使われていたとされる発音では「ヤマト(国)」と読めることを指摘する説もある。
邪馬臺国という表記の出典、単なる誤字か書き間違いか意識的に文字を変更したのか(臺=台は天の意味があるらしい)、など、この論争にも謎は多い。
その他にも、卑弥呼は誰だったのか?、大和朝廷との関わりは?など邪馬台国にはさまざまな謎があるとされており、様々な要素が絡み合って議論が続いている。
邪馬台国の位置に関する説
邪馬台国の表記に関する説
邪馬台国に関するその他の説
邪馬台国が存在していた時代
関連項目






