陸奥国
陸奥国(むつのくに)は、明治以前の日本の地方行政単位である国の一つである。範囲は 今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県北東の鹿角市と小坂町にあたるが、短期ではあるがこれと異なる時期もある。
道奥国は、7世紀に常陸国から分立して、太平洋側の北辺に設置された。設置時の範囲は、福島県の東南の隅(菊多郡)を欠く部分と、山形県の中部(最上郡)と南部(置賜郡)を含み、北は宮城県中部までを含めた。
和銅5年 (712年)に、最上郡と置賜郡を新しく成立した出羽国に譲った。
養老2年 (718年) に、陸奥国、石城国、石背国の三つに分かれた。このときの陸奥国の範囲は、阿武隈川の河口以北で、現在の宮城県中部のみの小さな国である。なお、南東部に建てられた石城国は、分立する際に常陸国から菊多郡をあわせた。
しかし、養老6年 (722年) 年から神亀元年 (724年) までのいずれかの時期に、三国は合同して元の陸奥国に戻った。菊多郡はそのまま陸奥に属した。
ここまでの時期を通じて、陸奥国は北方の蝦夷と境を接する重要な国とみられていた。日本の領土の拡大とともに、陸奥の領域も北に拡大し、最終的には広大な国になった。
明治元年 (1868年) 12月7日に、陸奥国、陸中国、陸前国、岩代国、磐城国の五つに分割された。このときの陸奥は、現在の青森県に岩手県西北の二戸郡を加えた範囲であった。
国府は現在の名取市にある郡山遺跡にあったと推測される。
神亀元年 (724年) に多賀城が建設されると同時に、国府もここに移り、これ以後10世紀に廃絶するまで動かなかった。現在の多賀城市にあり、遺跡が発掘されている。沿革
初め道奥(みちのおく)といい、平安時代まで陸奥(みちのく)と呼ばれた。






