舜天
舜天(しゅんてん 1187年? - 1237年?)は、中山世鑑や中山世譜などの沖縄の歴史書に登場する王である。それら17世紀頃に編纂された歴史書によると、沖縄本島には天帝の遣いとして下界に下った神・アマミキヨの子に始まる天孫氏と呼ばれる王統が25代続いた。この後、臣下によって天孫氏が滅ぼされ、国が乱れていたときに善政を敷き、天下を統一したのが浦添の按司であった舜天であるとされている。王統は舜馬順熙・義本と三代にわたって続き、1259年に英祖に王位を譲った、とされている。
舜天王統の実在は疑問視されており、仮に舜天が実在の人物であったとしても、その影響範囲は浦添近辺の狭い範囲に限られるもので、沖縄全土を統一する勢力ではなかったと考えられている。また、これらの記述に中国の天界の思想や日本神話における天孫降臨に似た要素が多く見られることも、後世の創作であるという説の傍証とされている。
また、舜天は保元の乱で日本を追われた源為朝の子であるという伝説もある。保元の乱で為朝は伊豆に流刑となったが、その途上、船が嵐に遭い、沖縄に漂着して豪族となった、というものである。これは滝沢馬琴の椿説弓張月にも描かれている。






