金沢市
人口 約45万人
面積 約45,000 ha
県の人口の4割近くが金沢市に集中する。戦災を受けなかったことから、中心市街地は江戸時代の城下町の面影をのこしている。
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戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)とその周辺の寺内町を起源とする。織田信長配下の佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地の尾山城(現在の金沢城)を改築、後に前田利家が居城としてから、城下町として発達した。江戸時代には江戸、大阪、京都に次ぐ人口があり、美術工芸が発達した。
明治時代になると、旧制第4高等学校(金沢大学の前身)、陸軍第9師団がおかれ、学都、軍都として栄えた。大正9年 (1920年) には人口12万9265人を擁し、国内11番目の都市であった。
市内には犀川と浅野川の二つの川が流れているが、とくに浅野川沿いの東山周辺には古い町並みが残っている。卯辰山からは市街地が見渡せる。歴史
「金沢」という地名は、昔、芋掘藤五郎が山芋を洗っていたらそこから砂金が出たため、「金洗いの沢」と呼ばれたという伝説による。この伝説に因み、前田利家が町の名前を「金沢」に改めた。「金洗いの沢」は兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。観光
江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園とされる。金沢城の跡地には、石川門など建物の一部が残っている。最近、一部の櫓が復元された。長町には武家屋敷の跡地がある。






