秩父宮雍仁
秩父宮雍仁は、大正天皇の第二皇子で、母は貞明皇后。妃は旧会津若松藩主・松平容保の四男で外交官を務めた松平恒雄の長女、勢津子(1909年 - 1995年)で、1928年(昭和3年)9月28日に婚儀。1902年(明治35年)6月25日誕生。幼名は淳宮。20歳で成人式を行い、「秩父宮」を賜った。宮号は、秩父嶺が帝都所在の武蔵国の名山であり、雍仁親王御住居の西北に位置した事にちなみ選定された。
陸軍に入り、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に昇ったが、終戦時には御殿場療養中であった。戦時下より一貫して戦争拡大政策に批判的であったといい、戦後は療養生活を送りながら執筆活動を行った。風説では、マッカーサーをはじめとするGHQによって、一時は昭和天皇退位と秩父宮即位の動きがあったともいう。
スキー、ラグビー等スポーツの振興に尽くし、「スポーツの宮様」として広く国民に親しまれた。また、日英協会・日本瑞典(スウェーデン)協会の総裁等を務め、国際親善事業においても足跡を残した。






