大阪
大阪は、大阪市と、大阪市を府庁所在地とする大阪府が存在する地域を指す地域名称。大阪市を中心とする京阪神地区の都市圏を漠然と指す語として用いられることもある。古くは「大坂」と書き、本来「大坂」という地名をもっていたのは江戸時代以前から現在の大阪市の中央部に位置した都市であった。
「大坂」の「坂」の字を分解すると「土に返る」と読めてしまい縁起が悪いということから、「大阪」とも書くようになり、明治時代に「大阪」の字が定着する。
大阪(大坂)には1868年に大阪府が置かれ、周辺の県を統合した後1887年に奈良県を分離して現在の大阪府の領域となり、現在のように広域の地名となった。
本来「大坂」と呼ばれていた場所は、現在の大阪市域の大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端にあたり、摂津国東成郡に属した。上町台地は古代には難波潟に突き出した半島状の陸地で「難波」と呼ばれた場所にあたり、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝として栄えた。
大坂の地名は15世紀に現れ、1496年に蓮如がこの地に建立した浄土真宗の石山道場に1532年、証如が山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として発展した。1580年に顕如が退去した後の1583年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。
豊臣氏が滅んだ大坂の役で一時的に荒廃したが、江戸幕府は大坂を直轄地とし、大坂城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。こうして水の都として復興した大坂は日本全国の物流が集中する商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。
近世大坂の町は江戸幕府の派遣した大坂町奉行支配のもとに北組、南組、天満組の三組に分かれ、総称して大坂三郷と呼ばれた。北組・南組は現在の中央区の本町通を境とする南北にあたり、天満組は北区の大阪天満宮を中心とする一帯である。
明治維新後、もとの大坂三郷は大阪府に属して北区・東区・西区・南区の4区に編成され、1889年に大阪市となった。大阪市はその後周辺の町村を合併して現在の領域に広がる。大坂






