徳川家綱
徳川 家綱(とくがわ いえつな、寛永18年8月3日 - 延宝8年5月8日(1641年9月7日 - 1681年6月4日))は江戸幕府の第四代征夷大将軍(在職1651年 - 1680年)。三代将軍徳川家光の長男。母は側室増山氏だが、竹千代の幼名を与えられ、世子とされた。1651年(慶安4年)8月18日(西暦10月2日)、江戸城において将軍宣下を受けた。家綱以後、将軍宣下は京都ではなく江戸で行われることとなる。
将軍家を継承したときわずか数え11歳に過ぎなかったため、家光死去の直後に浪人の騒擾未遂事件(慶安事件)が起こるなど政情不安に見舞われたが、叔父保科正之や家光時代からの大老酒井忠勝、老中松平信綱、阿部忠秋らの補佐によりこの危難を乗り越え、29年間の安定政権をみた。家綱の時代には幕府機構の整備がさらに進められ、殉死禁止令が出されるなど、これまでの武力に頼った武断政治から、文治政治への政策切り替えが行われた。
晩年には幕府財政の悪化、大老酒井忠清の専制を許し、幕府の勢威の翳りの端緒を招いた。生来病弱で40歳で没するが、子はなく弟の綱吉が後嗣となる。墓所は上野寛永寺、法名は厳有院。
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