アンワル・アッ=サーダート
ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート(محمد أنور السادات Muhammad Anwar al-Sādāt, 1918年12月25日 - 1981年10月6日)はエジプトの大統領(在任1970年 - 1981年)。日本では新聞報道などで「サダト大統領」と呼ばれており、現在も「サダト」と表記されることは少なくない。

1938年にカイロの陸軍士官学校を卒業し軍人となる。士官学校の同期で友人のガマール・アブドゥン=ナーセルとともに1952年のファルーク1世国王を追放するクーデターに参加。政府の要職を歴任したのち、1969年にナーセル大統領の副大統領になる。翌年9月28日にナーセルが急死したため、サーダートが共和制第3代大統領に昇格した。
サーダートはナーセルの社会主義的経済政策を改めて自由化を進めるとともに、イスラム復興主義の運動を解禁してエジプトの路線を大きく右旋回させる。1973年10月6日に、シリアと共同でイスラエルに開戦し、第四次中東戦争を起こすと、過去の中東戦争でイスラエルに奪われていたシナイ半島の領土を奪還して国民的英雄となった。
しかし、以後はナーセルの外交路線を完全に転換してアメリカに接近し、1977年にイスラエルのメナヘム・ベギン首相の招きでエルサレムを訪問。イスラエル・エジプト間の和平交渉を開始し、翌年のキャンプ・デービッド合意にこぎつけた。これにより、サーダートはベギンとともにノーベル平和賞を受賞する。しかし、このイスラエル=エジプト単独和平はパレスチナのアラブ人同胞に対する裏切りと受け取られ、アラブ諸国とムスリム(イスラム教徒)民衆の反感を招き、サーダート政権は次第に孤立する。また、経済自由化の結果、エジプト社会に急速に貧富の差が広がり、腐敗が横行したことによる国民の不満も高まっていた。
1981年10月6日、サーダートは第四次中東戦争開戦日を記念しその勝利を祝う戦勝記念日のパレードを観閲中に、イスラム復興主義過激派のジハード団に所属する兵士により暗殺された。
サーダートの後継には、副大統領のホスニー・ムバーラクが大統領(1981年 - )となる。






