アレクサンドル・ボロディン
アレクサンドル・ポルフィリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfir'yevich Borodin, Александр Порфирьевич Бородин, 1833年11月12日 - 1887年2月27日)はロシアの作曲家であり、彼自身は自分を化学者と称していた。ロシア音楽の製作に打込んだロシア5人組の一人である。ボロディンは、サンクトペテルブルグにグルジア系貴族と、その農奴との間の私生児として生まれた。ピアノ演奏を含むよい教育環境にあり、化学者への道を歩み、軍医となった。1863年にミリイ・バラキレフと出会うまでは作曲についてはなにも教育を受けたことがなかった。
1869年にバラキレフはボロディン初の交響曲を指揮している。また同年、ボロディンは交響曲第2番の作曲に着手した。第2番の発表は不成功に終わったが、フランツ・リストが1880年に編曲したものを演奏し、ボロディンの名がロシア外でも広まった。
1869年には主要な作品とされる歌劇イーゴリ公の作曲も開始している。このなかのだったん人の踊りは現在でも単独で演奏され、よく知られている。ボロディンはこの歌劇を完成できずにこの世を去ったが、リムスキー=コルサコフとグラズノフが後に補筆、完成させている。
ボロディンはすばらしい作曲家であったが、常に化学から得た収入で生活しており、化学の分野での活動を非常に大切にしていた。作品の数は非常に少く、交響詩中央アジアの草原にてや、二つの弦楽四重奏曲、いくつかの歌曲とピアノ曲などがあるのみである。3番目の交響曲の作曲も開始しているが、これも完成せずにこの世を去ってしまった。
ボロディンはサンクトペテルブルグ、Tikhvin墓地に葬られている。






