スティーブン (イングランド王)
スティーブン(Stephen, 1096年頃 - 1154年)は、フランス出身のイングランド王(在位1135年 - 1154年)。
スティーブンは、フランスの貴族、ブロワ伯エティエンヌと、イングランド王ウィリアム1世(征服王)の娘アデラの間に生まれた。フランスでの名前はエティエンヌ(Etienne)である。1125年、ブーローニュ伯ユースタシュ3世の娘マティルド(英名マティルダ)と結婚し、ブーローニュ伯位を継承した。
母方の伯父であるイングランド王ヘンリー1世(ウィリアム1世の子)が1135年に死ぬと、ヘンリーの娘であるアンジュー伯夫人マティルダ(通称「女帝モード」)が王位継承者に指名された。スティーブンは女性は王位に不適格であるという伝統に支持されて、自らの家臣を引き連れてイングランドに渡り、ロンドンに入ると、ロンドン市民と大司教の推戴を受けて、イングランド王に即位した。当初はイングランドの統治にある程度成功していたが、次第に封建諸侯の統御を失って、モードの王位を支持する諸侯との間の戦争状態に陥った。
1141年、スティーブンはグロスター伯ロバート率いるモード支持派との戦いに敗れ、捕虜となる。同年のうちに釈放されて王位は保つことができたが、この敗戦によってスティーブンの王の権威は全く地に落ち、イングランドは混乱状態に陥った。しかし、モードのアンジュー伯派も決定的な勝利を得られず、イングランドの人々は長引く戦乱に倦み始める。
1153年に長男のブーローニュ伯ユースタシュ4世(英名ユースタス)を失ったスティーブンは、ついにアンジュー伯派との和解に踏み切り、モードの息子アンジュー伯アンリとの間でウォーリングフォード条約を結び、自身の終身王位の承認と引き換えにアンリを養子として王位継承者とすることを約束した。
スティーブンは翌1154年10月にドーバーで死去し、アンリがヘンリー2世としてイングランド王位を継承した。
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