平塚らいてう
平塚 明(ひらつか はる、結婚改姓後の戸籍名: 奥村 明=おくむら はる、1886年2月10日 - 1971年5月24日)は平塚らいてう(ひらつか らいちょう、平塚雷鳥とも)の名前で知られる女性解放思想家、女性解放運動家、作家、フェミニスト。高級官吏の娘として育ち、日本女子大学校家政学部を卒業。22歳で流行作家・森田草平との塩原事件(心中未遂事件)で世間から非難を浴びたが屈せず、25歳にして女性文芸誌『青鞜』を創刊。その創刊の辞「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である……」は、女性解放の宣言としてきわめて大きな反響を呼び、後世まで影響を与えた。しかし、当時、女たちの高揚は理解されず、新聞の誤報などにより「新しい女」は悪評にまみれる。『青鞜』の運動を通じ与謝野晶子との母性主義論争で「母性主義」を唱え、山川菊栄がこの論争に加わるも、その考えを変えることはなかった。治安警察法第5条の撤廃をはかって、市川房枝、奥むめおの協力で日本で最初の女性運動団体、新婦人協会を結成、改正を勝ち取り、女性参政権への道を切り開く。高群逸枝らの雑誌『婦人戦線』に参加し、また消費組合でリーダーシップをとる。敗戦後は、平和運動や女性運動に積極的にかかわり、日本婦人団体連合会の初代会長、国際民主婦人連盟副会長を歴任。孤独や非合理の世界をも愛する女性解放の先駆者であり、また思想家でもあった。「女たちはみな一人ひとり天才である」と宣言する孤高の行動家として、終生女性運動から退くことはなかった。
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東京市麹町区三番町で父定二郎、母光沢(つや)の三女として生まれる。
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