オスマン家
オスマン家(Osmanlı)は、オスマン帝国の皇帝(パーディシャー)を輩出した家系。13世紀末にアナトリア半島北東部を支配した初代オスマン1世に始まり、36代メフメト6世がスルタンを廃位される1922年までオスマン帝国の君主として続いた。
かつてはオスマン部族(オットマン部族)と呼ばれることも多かったが、オスマンの名は遊牧部族的組織を脱してガージー(ジハードに従事するムスリム戦士)集団を率い、君侯国、帝国へと発展しはじめる基礎を打ち立てたオスマン・ベイ(オスマン帝国の建国者オスマン1世)に由来するので、適当な呼称ではない。
| Table of contents |
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2 帝位継承制度 3 スルタン=カリフ制 4 現代のオスマン家 5 歴代皇帝 6 外部リンク |
オスマン家の起源に関する確実な史料は存在しないが、後世オスマン帝国で信じられた始祖伝説によると、その遠祖はテュルク系遊牧民のオグズ24部族のひとつ、カユ部族の長の家系の出自である。イスラム教を受け入れたカユ部族は中央アジアからイランのホラーサーンに移住し、スレイマン・シャーが部族長のとき、おそらくモンゴル帝国の征西を避けてアナトリアに入った。スレイマン・シャーはそこで死に、部族の一部はホラーサーンに帰ったが、スレイマン・シャーの子のひとりエルトゥールルは遊牧民400幕を連れてアナトリアに残り、ルーム・セルジューク朝に仕えてアナトリア東北部のソユトの町を中心とする一帯を遊牧地として与えられ、ビザンツ帝国に仕えるキリスト教徒と戦った。1280年から1290年の間にかけての頃にエルトゥールルは病死し、息子のオスマン(1世)が後を継ぐ。
後世の記録によると、オスマン・ベイは周辺のキリスト教徒の領主たちと(時にはイスラム教徒とも)激しく戦って周辺の都市を征服し、1301年にはコンスタンティノポリスから派遣されてきたビザンツ軍を撃破した。この間のオスマンがベイ(君侯)として自立した勢力を固めた頃にあたる1299年が伝統的にオスマン帝国の建国年と見なされている。その子、2代オルハンは海を渡ってヨーロッパに勢力を広げ、3代ムラト1世はバルカン半島に勢力を広げてスルタンを自称した。
オスマン家の出自がトルコ人であることは確実だが、オスマン1世とトルコ系女性マル・ハトゥンの間の子であるオルハンを例外として、ムラト1世の母ニルフェル、バヤズィト1世の母ギュルチチェキ、メフメト1世の母オルガ、ムラト2世の母エミネら、歴代のスルタンの母はほとんどがギリシャ系やブルガリア系のキリスト教徒出身者で、人質や女奴隷として後宮に入った女性であったので、血統的には内実はほとんどトルコ系ではないと言ってよい。
15世紀に入り、バルカン半島とアナトリア半島を支配する大帝国に発展すると、後継者争いによる帝国分割の危機を避けるため兄弟殺しの慣行が生まれる。最初に兄弟を殺して自らの即位を固めたのは4代バヤズィト1世で、その死後息子たちの間で帝国が分割され内紛が起こったことから、次第に兄弟殺しが帝国維持のため止むを得ない行為と見なされるようになり始め、コンスタンティノポリスの征服者として知られる7代メフメト2世は、兄弟殺しを法令として定める。このためにオスマン帝国は歴代に優秀な皇帝を即位させ安定した統治を続けることができたが、8代バヤズィト2世の弟ジェム・スルタンが殺されるのを免れるためヨーロッパに亡命した事件や、10代スレイマン1世が後継者争いに敗れた息子に反乱を起こされる悲劇を生んだ。
同時期に、宰相制度が拡充されて政治の実権は皇帝の最高代理人である大宰相に完全に委ねられるようになり、皇帝自身の能力が左右されなくなった17世紀に入ると、兄弟殺しは廃れ、かわりに皇位につけなかった兄弟・甥・従兄弟の皇子たちをトプカプ宮殿の高宮の片隅にある「鳥かご」と呼ばれる小部屋に幽閉する慣行が生まれる。これにより、帝位は存命の皇子たちのうち最年長の者に転がり込むようになった。
19世紀にに入ると国勢の衰退したオスマン帝国に、キリスト教徒の列強君主に対抗してオスマン皇帝のスンナ派イスラム教徒に対する宗教的権威の優越が期待されるようになり、オスマン家の君主にはスルタンの世俗的権力とカリフの宗教的権威が兼ね備えられているという主張が生まれた(スルタン=カリフ制)。そのために、9代セリム1世がマムルーク朝を滅ぼしたときアッバース朝の末裔からカリフ権を譲り受けたという有名な伝説は創作されたと考えられている。
1922年、イスタンブールのオスマン帝国政府を消滅さるためスルタンの廃位を迫られたムスタファ・ケマル率いるアンカラの大国民議会は、廃位に対する国内外の反対を抑えるため、スルタン=カリフ制を廃止してスルタンとカリフの地位を分割し、さらにスルタン制を廃止してメフメト6世を廃位することを決議した。翌1923年には共和制が宣言されてトルコは共和国になり、さらに1924年、カリフとして即位したアブデュルメジド2世が廃位され、オスマン家の全成員は国外追放されて、オスマン家の支配は完全に終焉した。
トルコ追放以来、オスマン家はトルコ国外において年長者が帝位継承者として家長の座を継承しており、1994年以来ニューヨーク市在住のエルトゥールル・オスマンがオスマン1世から数えて43代目のオスマン王家当主をつとめる。後にオスマン家の国外追放は解かれたので、イスタンブールに帰った者も多い。
起源
帝位継承制度
スルタン=カリフ制
現代のオスマン家
歴代皇帝
外部リンク






