ローマ帝国
ローマ帝国は、紀元前27年-395年または1453年の間に、ローマ市を発祥・一大中心として地中海周辺一帯を支配した帝国。古代ローマの帝政期をいう。紀元前27年にオクタウィアヌスがアウグストゥス(「尊厳者」)の称号を得て、形ばかりの元首政から始めた帝政(帝政ローマ)。コンスタンティヌス1世は首都をローマからコンスタンティノポリスへ遷した。ローマ帝国は、地中海をとりかこむ領域を持った。
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2 前史 3 西ローマ帝国 4 東ローマ帝国 5 参考文献 6 関連項目 |
セウェルス朝
再び帝位の混乱(この中ににユリアヌスも含まれる)
帝国分裂
占領した地域から連れられてきていた奴隷たちが、帝国の領域の縮小に伴って減少し、奴隷という労働力が不足し始め、代わりにコロヌス(土地の移動の自由のない農民。家族を持つことができる。高い徴税の義務を負う)が急激に増加した。
284年に軍人皇帝の最後の皇帝となったディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は、混乱を収拾するため、皇帝の権力を強め、帝国を4分割統治し、一時安定を取り戻す。4分割統治は、2人の正帝(アウグストゥス)と、副帝(カエサル)によって行われ、ディオクレティアヌスは東の正帝に就く。以降、ドミナートゥス(専制君主制)に移行した。一方、ディオクレティアヌスのもうひとつの混乱収拾策であった、キリスト教迫害は失敗し、死後再び混乱。
コンスタンティヌス1世(在位:副帝306年-、正帝324年-337年)は、同じく専制を強行するが、キリスト教勢力と妥協し、313年ミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。
テオドシウス(在位:379年-395年)は、380年キリスト教を国教に定めたが、ついに、自分の死に際して、東西に帝国を分け、長男に東を、次男に西を与え、完全に帝国は2分した。
歴代皇帝
以下略
軍人皇帝時代
ディオクレティアヌス
コンスタンティヌス
テオドシウス
最後の皇帝、ロムルス・アウグストゥス前史
カエサルの養子「オクタウィアヌス」が、第2次三頭政治の一員から抜きん出て、帝政を開始する。五賢帝の時代
アウグストゥスの後ローマ帝国の最盛期を築いた5人の皇帝の時代。すべて生存中に優秀な人材を探して養子につけ、帝位を継がせた。法律(ローマ法)、交通路、度量衡、貨幣制度などの整備・統一が行われ、ローマ領内の流通と経済を盛んにした。(年代は在位期間)
混乱と分裂、キリスト教
反乱の増加に伴って、軍隊が強力な力を持つようになり、皇帝の進退を左右した。約50年間に26人もの皇帝が入れ替わり、これを「軍人皇帝」と呼んだ。
この労働力を使った小作制のコロナートゥスが発展し始めると、人々の移動が減り、商業が衰退し、地方ごとの自立が促進された。
さらに、東方のビュザンティオンに遷都し、コンスタンティノポリスと改称。心機一転立て直しを図ったが、北方のゲルマン人の侵入が進む中で、解体は止まらなかった。西ローマ帝国
首都はローマ。395年-476年。ゲルマン人の侵入に耐え切れず、イタリア半島の維持さえおぼつかなくなった末、476年ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルに滅ぼされた。東ローマ帝国
首都はコンスタンティノポリス。395年-1453年。やがて、ビザンツ帝国と呼ばれるようになり、軍事力と経済力をつけて、ゲルマン人の侵入を最小限に食い止めた。(以降は東ローマ帝国を参照)1453年にオスマン帝国に滅ぼされた。






