十五年戦争
20世紀の初頭、日本が中国大陸への圧力を強めていったことに起因する対中侵略と抗日運動が展開した、1931年の満州事変から日中戦争・太平洋戦争(大東亜戦争)の1945年の終結に至るまでの延べ15年間の戦争を、十五年戦争と呼ぶことがある。
1930年以前
明治から昭和にかけて日本は飛躍的な発展を遂げたが、社会が固定化するにつれ貧富差が拡大し、昭和恐慌はその傾向を助長し、社会不安が増大した。その不安を背景に軍部が実権を握り(徴兵制のおかげで軍部は下層階級の意見が通りやすい組織でもあった)、侵略戦争を起こす膨張戦略をとることによって、恐慌を打破しようとしたのが十五年戦争の始まりと考えられる。
戦争は当初は日本軍にとって順調に推移し、日本は満州という新たな殖民国家を得たが、さらに中国本土まで侵略の手を伸ばしたため、泥沼の日中戦争に追い込まれていく。日本の膨張主義は周辺諸国、特にアメリカの警戒心を刺激し、日本は経済制裁を加えられる。1941年の各国の最後通牒に反発した日本は、逆に欧米の太平洋領土を攻撃し、太平洋戦争が始まる。
現場出身で、テクノクラートに乏しかった軍部は、精神主義でこれを乗り切ろうとするが、やがて経済力で遥かに勝る米国、膨大な人口資源を有する中国に押し切られて敗戦を迎える。
十五年戦争は日本において三百万の死者、中国において 1 ~ 2千万の死者を出した未曾有の惨事であったが、現在においてもなお、この出来事を客観的に洞察し、そこから教訓を得ることができている日本人は少ないと言われる。盲目的な平和主義、あるいは逆に盲目的な「戦前」の肯定に逃げることなく、歴史的検証と他国理解に根ざした体系的な考察が求められている。
この戦争は、
略年表
1931年
1932年
1933年
1934年
1935年
1936年
1937年
1938年
1939年
1940年
1941年
1942年
1943年
1944年
1945年
背景
という発展途上国の近代化・民主化の典型的なパターンに沿っているものとも言える。同様の例が、2003年のイラク戦争を経たイラクにも見ることができる。逆に言えば、50年来この図式は変わっていないとも言える。






