一橋徳川家
一橋徳川家は、徳川氏の一支系で、御三卿のひとつ。単に一橋家とも言う。江戸幕府八代将軍徳川吉宗の四男徳川宗尹を家祖とし、徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三卿とともに後嗣を出す資格を有する。家格は徳川御三家に次ぎ、所領は10万石。家名の由来となった屋敷、一橋邸は江戸城一橋門内、現在の千代田区大手町1丁目4番地付近にあった。一橋家は御三卿の中でも唯一将軍を出し、十一代将軍家斉と十五代将軍慶喜が一橋家の出身である。さらに、田安徳川家二代の治察が早世し、清水徳川家初代の重好が実子を残さなかった結果、18世紀末以降のほとんどの将軍と御三卿当主が一橋家の宗尹の子孫で占められることとなった。しかし、一橋家当主自身は短命で子を残せない者が多く、一橋家九代当主で十五代将軍となった慶喜は周知の通り水戸徳川家からの養子である。
明治維新後は華族に列し、伯爵を授けられた。十二代当主宗敬氏は戦後、最後の貴族院副議長を務め、サンフランシスコ講和条約の日本側全権委員のひとりであった。
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歴代当主と後嗣たち
一橋徳川伯爵家
戦後の一橋徳川家
関連項目






