イラク戦争
nds:Irakorlog イラク戦争アメリカ合衆国とイギリスを中心として、イラクの独裁者サッダーム・フセイン大統領およびバアス党政権の排除を目的に起こした戦争。オーストラリアとポーランドも軍隊を送っている。アメリカ合衆国陣営は武装解除を目的とした武力行使としている。一方で、開戦時には、国際法上正当な理由を裏付ける証拠の提示も無く爆撃が行われ、侵略であるという見方もできる。
戦争は、戦争の場となった地名を付けるのが一般的だが、イラク戦争という名称はアメリカ合衆国の立場からイラクを敵対視する一方的な態度であるという意見もある。 (ウィキペディア英語版では「US invasion of Iraq」であったが、現在「2003 Iraq War」になっている。)
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2 各国の利害関係 3 各国での反応 4 戦術 5 戦争の経緯 6 その他 7 関連 8 外部リンク 9 参考資料 |
湾岸戦争の際にイラクが受諾した停戦決議(国連決議687)においては、イラクは大量破壊兵器を所有しないことが義務づけられていた。この達成を確認する手段として、国連は武器査察団をイラクに送り、兵器の保有状況、製造設備などを調査した。
しかし、イラク側は必ずしも協力的ではなく、工場の偽装が明らかになったケースや、兵器は破棄されたがその記録など証拠となる手がかりが一切残っていないと主張するケース、一部施設への立ち入り拒否、など様々な形での遅延、妨害があった。(イラク武装解除問題を参照。)
このイラクの武装解除の進展の遅さと大量破壊兵器の拡散を危惧したブッシュ政権が、イギリスなどとともに、イラクの自由作戦と命名した作戦に則って2003年3月19日(アメリカ時間)、空爆を開始した。
フランス、ロシア、中国などは反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあったが、それを押し切った形での開戦となった。
アメリカ国内の世論は武力介入は一般的に高い支持を得ているものの、国連の支持なしの攻撃については意見が2分される傾向にあった。
また、アメリカと歩調を合わせて武力行使に積極的な態度を示してきたイギリスではブレア政権の閣僚が相次いで辞任を表明し、政府の方針に反対した。クック枢密院議長兼下院院内総務(3月17日)、ハント保健担当政務次官(3月18日)、デナム内務担当政務次官(同日)が辞任。結果としてブレア首相は議会の承認を早急にとりつける必要に迫られた。(BBCニュースの記事に更に詳細なリストがある。)
基地の提供などの形で協力している国でも、公式には戦争に反対を表明している場合があった。
3月27日国連安全保障理事会の席上において、英米側が戦争の正当性を主張、ロシア、中国、イラクなどがこれに批判的な発言を行った。
4月1日フランスのドビルパン外相は、テレビのインタビューで英米への支持を表明、良好な関係を保つことの重要性を強調した。
レーザーに誘導されるミサイルなど高性能の武器を効果的に用いることで特定の拠点を効率的に破壊するとした。
これは湾岸戦争後にコリン・パウエルによって提唱された「パウエル・ドクトリン」と呼ばれる戦争のスタイル(圧倒的な兵力を投入し、短期間での勝利を目指すもの)と対照的であるとされる。各国の軍事専門家の間でもイラク戦争における米軍の戦術がどの程度功を奏するかについては注目され、あるいは心配されていた。
実際にはイラク側の抵抗の小ささと行軍の遅い砲兵隊の使用を避ける(代わりに航空機のピンポイント爆撃を用いる)ことなどにより大方の予想を裏切り迅速にアメリカ軍はバグダッドまで進軍した。このことはアメリカの圧倒的軍事力を世界中に見せつける結果となった。
しかしこの少数の兵力しか用いないという戦術は戦闘では大いに役に立ったが、占領政策にはひどく不向きであったと現在では考えられている。敵の軍隊のみを排除すればいい軍事行動とは違って、占領時にはインフラの復旧、治安の確保、食糧の配給などさまざまな活動が求められるが、兵士の数が足りないためどれも完全には行なえず、結果イラク国民の反発を招き、さらに治安の悪化が進み、より多くの兵士が必要となるという悪循環を招いている。
なおこの計画を積極的に提唱したのはラムズフェルド国防長官だとされる。同長官は、かねてより、パウエル・ドクトリンはベトナム戦争からの教訓として形成されたワインバーガー・ドクトリンの亜流であり、時代遅れになりつつある、との見解も表明している。
イラク北部の都市キルクークには巨大な油田があるために、サッダーム・フセイン政権の下、トルコ人、クルド人が追い出された経緯を持つ。4月の第2週頃、アメリカ軍のキルクークへの侵攻に伴いイラク人は町を離れ、周辺都市からクルド人が来訪、略奪を繰り返すようになった。
開戦前の1月初旬、ナイト・リダー社の発表した世論調査結果によると、調査に応じたアメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと考えている。(実際には大半がサウジアラビア人でイラク人は一人もいなかったと報道されている。)
開戦までの経緯
各国の利害関係
この武力行使がどのような利害と結びついているかについてはメディアや識者を通じて様々な見方が指摘された。ブッシュ大統領の開戦前後の演説
ブッシュ大統領が開戦の前後に行った演説においては、次のような理由付けが示されている。
それ以外で語られるアメリカの開戦理由
開戦反対国のイラクでの利害
フランスとロシアは石油や開発プロジェクトをめぐってイラクと良好な関係にあり、イラクに武器輸出をしていて、武力行使に対して両国が慎重な背景には、その利益を守ろうとする動機があるからだといわれている。各国での反応
開戦直後の各国の反応は以下の通り
戦争開始後、世界各地での反戦デモが繰り広げられ、負傷者や逮捕者が出るほど激化した。戦術
湾岸戦争時と比較して、投入する兵士の数は少ない。戦争の経緯
(いずれも米国東部時間)
その他
トルコは自国のクルド人が独立国家を設立しようとする可能性について懸念を抱いており、キルクークがクルド人自治区となること(ひいては原油関連事業の資金がクルド人の手に渡ること)に反対していた。アメリカ政府もトルコ政府のこの方針に賛成した。関連
外部リンク
参考資料
ナイト・リダー社の世論調査について






