アイヌ
アイヌとは、かつて北海道、千島、樺太などに住んでいた先住民であり、日本の少数民族。 現在、アイヌの大部分は北海道に住んでいる。 江戸時代までは幕府側からは蝦夷(えぞ)と呼ばれていた。アイヌとはアイヌ語で「人」を意味する。アイヌに関連した話題の場合、大和民族のことを「シサム」、「シャモ」と表記することが多い。それをきらった場合、和人とした。
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詳細
アイヌの文化と生活
主に鮭と「蝦夷鹿」をとる狩猟採取生活を送り、ジャガ薯が伝わると農耕もした。イオマンテ(代表例:熊祭、熊の霊送りの踊り)を行ない、(熊の猟時には熊の)命を敬う独自の文化をもっていた。現在では、大半のアイヌは長い同化政策の末、日常生活をシャモと同じようにすごす。アイヌとしての生き方はアイヌプリとして今では尊重されている。
アイヌの歴史なども描かれている叙事詩を歌として語るユーカラが、口承されている。ユーカラの研究者としては、知里真志保(ちり・ましほ)、金田一京助などが知られている。
- イオマンテ
- 金田一京助
歴史
- 擦文文化
1789年クナシリ・メナシの戦い
- 蝦夷地の幕府直轄地化
- 北海道「開拓」1869年ー
- 北海道旧土人保護法1899年-
- アイヌ文化振興法 (アイヌ新法)
差別
古く日本人はアイヌを「えぞ」と呼んでいた。17世紀末や18世紀初めの文献に、彼らが「えぞ」と呼ばれるのを嫌い、「あいの」と呼ぶように求めたとある。これがアイヌという民族名の起源と思われる。明治政府は、アイヌを平民に列して日本人に組み入れたが、その実「旧土人」という分類を作って様々な差別待遇を設けた。彼等の土地を「無主の地」として奪い、申請すると僅かな荒れ地を与え、開墾できなければそれをも奪った。多くのものは教育を奪われ、教育を受けたものにはその内容はアイヌの習慣を蔑みシャモの文化と言葉を強要されるものだった。官民ともにシャモに同化しないアイヌを劣ったものとみなし、「アイヌ」という言葉をことさら差別的に使う人がでてきた。こうした経緯から、自分たちを「アイヌ」とは呼びたくないというアイヌも現れ、自分たちを示す名称などにウタリ(「仲間」といった意)を用いるケースがみられるようになった。現在は行政用語としてもウタリとアイヌが併用されている。
20世紀後半に、アイヌへの差別が批判され、アイヌの文化が高く評価されるようになると、「アイヌ」という語の差別的な感覚もなくなっていった。それにはアイヌ自身の運動や他の被差別者との連帯、世界の先住民との連帯が大きな役割を果たしている。
関連項目
外部へのリンク






