岡山市
| 面積 | 513.29km2 (平成15年8月31日現在) |
| 人口 | 636,781人 男306,641人、女330,140人 (平成15年7月31日現在) |
| 市の花 | |
| 市の木 | |
| 市民の鳥 |
岡山市(おかやまし)は、岡山県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地でもある。
| Table of contents |
|
2 経済 3 歴史 4 政治・行政 5 交通 6 観光 7 関連項目 8 外部リンク |
|
岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が岡山城を築いて拠点にしていた。元亀元年 (1570年) に宇喜田直家が金光宗高を謀殺して岡山城を奪った。直家は岡山の交通の便と土地の広さに着眼して、城を拡張し、山陽道を岡山経由につけかえて、天正元年 (1573年) に本拠にすべく移り住んだ。直家がはじめた城下町岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後岡山が備前国の政治経済の中心となった。
宇喜田秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年に死亡し、小早川家は断絶した。1603年に、池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて岡山は池田氏のものとなった。
江戸時代の宝永4年 (1704年) に人口は武家が2万2904人、町方が3万0635人で、計5万3539人であった。池田氏四代目の綱政は、後園という庭園、後の後楽園を造った。
廃藩地県で岡山県の県庁所在地となった。市町村制が施行された1889年には、県内唯一の市として、面積5.77km2、人口4万7564人を擁した。1920年には人口9万4585人を数えた。
1945年6月に空襲で大きな被害を受け、千人以上が死に、10万人以上が家を失った。
戦後は順調に発展し、周辺市町村との合併を進めた。1960年頃には倉敷市を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、岡山・倉敷の両市長の反対で実現しなかった。1975年から市の面積は変わっていないが、現在は平成合併の一環として政令指定都市をにらんだ合併案を検討している(倉敷市は入っていない)。経済
(空白)歴史






