南北朝時代
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2 南北朝時代(日本) |
南北朝時代(中国)
311年の永嘉の乱をきっかけに、中国の北西部からモンゴル系などの国が華北に侵入して匈奴、鮮卑、羯、てい、羌からなる五胡により
北朝が建てられた。一方、中国南部の江南地方には宋、斉、梁、陳からなる南朝が建てられた。以降589年まで対立が続いた時代を指す。
この時代においては政治的な混乱とは対照的に、茶など、多くの文化的な発展が見られた。
関連項目
南北朝時代(日本)
14世紀中盤、鎌倉幕府を滅ぼした後、大覚寺統の後醍醐天皇は建武の新政を行う。後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒すのに功のあった武士を軽視し、何の功もなかった公卿を重く用いた。また、大覚寺統と持明院統がたすきがけで皇位につく(両統迭立)、という従来からの約束を破ろうとした。不満を抱えた武士たちは、後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏を支持し、後醍醐天皇は吉野へ逃れた(南朝)。一方、足利尊氏は持明院統を擁立し、北朝を建てた。以降1392年の合体まで南北朝による対立が続いた。この時代を南北朝時代と呼ぶ。
なお、戦前は南朝が正統であるという立場から、南朝が吉野にあったことにちなみ、「吉野朝時代」と呼ばれた。






