俘囚
俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、日本の支配に属するようになったもの。夷俘(いふ)ともいう。日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。移配された俘囚は、7世紀から9世紀まで断続的に続いた日本と蝦夷の戦争で、敗れた男女が集団で強制移住させられたものである。移住先は九州までの全国におよぶ。俘囚は、定住先で生計が立てられるようになるまで、俘囚料という名目で食糧を支給された。移配された俘囚の一部は騒動を起こして鎮圧の対象になったが、逆に国の治安維持のための軍事力に起用されることもあった。
陸奥・出羽にとどまった俘囚は、同じ地域の日本人と異なり、租税を免除されていたと考えられている。彼らは陸奥・出羽の国府から食糧と布を与えられる代わりに、服従を誓い、特産物を貢いでいた。俘囚という地位は、辺境の人を下位に置こうとする朝廷の態度が作ったものであるが、俘囚たちは無税の条件を基盤に、前記の事実上の交易をも利用して、大きな力を得るようになった。これが、俘囚長を称した安倍氏、俘囚主を称した清原氏、俘囚上頭を称した奥州藤原氏の勢威につながった。
しかし、奥州藤原氏の時代には、俘囚は文化的に日本人と大差ないものになっていたと考えられる。奥州藤原氏の滅亡後、鎌倉幕府は関東の武士を送り込んで陸奥・出羽を支配した。俘囚の地位は日本人と変わらなくなり、歴史に記されることもなくなった。






