元号
元号(げんごう)は、紀年法の一種で、中国をはじめ中国文化の影響を受けた東アジアの漢字文化圏において、特定の年代に年を単位として付けられる呼称。紀元とは異なる。元号を改めることを改元という。元号が創られた目的は、中国の皇帝が時(暦)を支配するという君主制の思想に基づくと思われる。政権・支配者が交代したり、大きな出来事が起こると、元号はしばしば改められた。[年号]という用語も歴史学上ではほぼ同意味である。中国では、漢(前漢)の武帝の治世の紀元前115年ごろに、統治の初年にさかのぼって「建元」という元号が創始され、近代まで用いられた。中国の元号は、中国文化の影響を受けた朝鮮・モンゴル・南詔・渤海などでもそのまま使われた。明の太祖(朱元璋)は、皇帝の代ごとに改元するという一世一元の制を制定。西暦1911年に辛亥革命によって清が倒れると元号は廃止され、中華民国が建国された1912年を元年とする「中華民国紀元」の「民国」という元号が定められた。1916年に袁世凱が帝制を敷いたときには「洪憲」という元号を用いた。満州国が1933年に独立すると、「大同」という元号が定められ、1934年に溥儀が皇帝になると「康徳」と改元され、1945年の滅亡まで続いた。中華人民共和国が中国を征服すると、中国では西暦が採用されたが、台湾では「民国」が現在も用いられつづけている。
ベトナムでは、中国から独立した970年ごろから独自の元号が使われ始め、1945年に西暦に改められるまで続いた。
朝鮮でも、新羅の時代には朝鮮独自の元号が約100年ほど用いられていた。また、李氏朝鮮の末期には、日本の影響を受けて「建陽」「光武」「隆煕」という元号が定められた。日本に併合された期間は、日本の元号が用いられた。1997年9月9日より北朝鮮は、金日成の生年とされる1912年を元年とする「主体(チュチェ)紀元」の「主体(チュチェ)」という元号を用いている。
日本では、日本書紀によれば、大化の改新(645年)のときに「大化」が用いられたのが最初である。日本は、天皇制を権威付けるために中国の元号を模倣したと思われるが、中国を中心とする冊封体制諸国の中では、ベトナムと並んで独自の元号を存続させてきた。しかし、独自の元号とはいっても、日本の元号のほとんどは中国古典の文言から採られている。江戸時代までは、大きな出来事が起こるたびに改元していたが、明治維新のときに一世一元の詔が出され、天皇の代ごとに改元する中国式の一世一元の制に改めた。現代日本の元号は、元号法に従うことになっている。






