儒教
儒教(じゅきょう)とは、紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に渡って強い影響力を持つ思考・信仰の体系である。もともとは諸子百家に属した学問という側面から、儒家、儒学ともいう。
儒教の起源は明らかでないが、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムがその母体と考えられている。 そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時戦争などによって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが春秋時代の孔子であり、孔子をもって儒教の創始者とみなすのが一般的である。
儒教は戦国時代の孟子・荀子らによって発展され、儒者董仲舒を重用した前漢の武帝に至って国教に定められ、経典が「五経」に整備された。前漢を滅ぼした王莽の新は短命の王朝に終わったが、儒教の教えに基づく理想政治をとったことで儒教を社会の隅々にまで広めた点で、重要である。漢新以降、官吏の任用試験科目として儒教のテキストが用いられるようになり、これにより儒教を学ぶことが出世を望むエリート階層にとって絶対必須の要件となった。
南北朝時代には、長い戦乱の間で社会への不安を救ってくれる仏教・道教が盛んになり儒教は若干衰えた。しかし、隋・唐に至って官吏の任用に科挙が導入されると、儒教は復活を遂げ、すでに後漢においておこなわれていた訓詁学の成果を元に編纂された五経の注釈書『五経正義』が編纂された。
北宋に至ると、儒教は仏教や道教の教義を取り入れて新たな展開を始めた。周敦頤は『太極図説』を著し、儒教の世界観に宇宙生成の理論を持ち込み、宋学と呼ばれる新儒教を開いた。南宋の朱熹は、宋学を大成し、朱子学を起こした。同じく南宋では、「性即理」を唱えた朱熹に対して、「心即理」を唱えた陸象山がおり、明の王陽明に至って陽明学として大成された。
明においては朱子学が国学として取り入れられ、科挙も朱子学に基づいておこなわれるようになって、公的な儒教は朱子の学説にのっとるようになった。一方、明末のころから、顧炎武らによって経典を客観的に解釈しようとする潮流が起こされ、考証学に発展していった。清代には考証学が発展して儒教が全く文献学のようになってしまったために、その反省から『春秋公羊伝』を重視する公羊学が盛んになった。公羊学を学び、清末に変法自強運動をおこなった康有為は、晩年に儒教をキリスト教に対抗できる宗教に仕立て上げ「孔子教」に改革しようと構想したが、実現には至らなかった。
中華民国以後、科挙は廃止され、儒教は国教の地位を失っているが、依然として儒教の考え方の影響力は強いと言われている。儒教の教え
礼
孝
仁
忠
儒教の歴史






