城
城とは、敵に攻め込まれた際の防衛拠点として設けられた建造物である。中国における「城」は、都市を壁で囲む施設を指す。日本では都市の城が発達しなかったため、中世以降、主に戦闘員たる武士とその家族だけが入る防衛施設を指すように、「城」の語義が変化した。ヨーロッパでは両者ともに発達し、英語では「city wall(市壁)」、「castle(城)」と分ける。
中国における城は、都市や村などの居住地の全周を囲む防御施設を指す。大規模なものは、宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と居住地全域を囲む外城に分かれる。中国は、北方民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。また、城と呼ばれない要塞として、交通の要所におく「関」が重要である。
中華人民共和国時代に入って、ほとんどの市では市域拡張のために城壁を取り壊したが、保存箇所も多い。
弥生時代の日本には、集落に濠をめぐらせた環濠集落が数多く存在したが、政治的統一が進むにつれて衰退した。
城の文献上の初見は、664年に天智天皇が築いた水城(みずき)で、この時代には文献に見えないものも含め多数の城が九州北部から瀬戸内海沿岸に作られた。また、蝦夷(えみし)との戦争が続いた東北地方では、7世紀から9世紀にかけて多賀城などに行政拠点を兼ねた城が築かれた。
中世の日本では、武士の平時の居住地への防護と、戦時に険阻な山に拠る際の防護と、二つの必要から城が発達した。戦国初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の山城であったが、「館(やかた/たち/たて)」「屋形(やかた)」と呼ばれる前者も実質的に城としての機能を備えていた。
戦国時代中期から城の工事量は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた平山城や平地そのものに築いた平城が主流となり、山城は廃れた。現在の城のイメージの中心となる天守閣や櫓などの形式は、松永久秀が築城した多聞山城や信貴山城などからみられるようになった。その後織田信長により安土城、豊臣秀吉により大阪城、伏見城などが築かれ、日本の城文化は栄華を極めた。
後の江戸時代になり、一国一城令が発令された為、多くの城は破却された。さらに、明治時代に入ると、破却と管理放棄による崩壊が進んでいった。太平洋戦争の空襲で、名古屋城、和歌山城、広島城等が消失した。
現在、江戸時代以前の天守閣が現存するのは、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松山城 (備中)、松江城、丸亀城、松山城 (伊予)、宇和島城、高知城の12である。
昭和以降には、古い城の復元工事が多く挙行されるようになった。復元の目的の一つには観光の目玉作りがあり、中には外見だけを復元したもの、資料なしに想像で復元したもの、天守閣が存在しなかった城に天守閣を建てて復元したものなどもある。
西洋における城
中国における城
日本における城
沖縄における城
沖縄では城(しろ)にあたるものとして城(グスク)が挙げられる。現在残っているもので、もっとも著名なのは首里城(しゅりじょう)。
(stub)朝鮮の城
朝鮮半島の城は、中国の影響が強い。現在の韓国水原にある水原城は、当時の朝鮮王朝の独自性を狙った作りだとも言われる。
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3. フランツ・カフカによる未完の小説(の題名)






