戊辰戦争
戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治1年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は王政復古で成立した明治新政府が、江戸幕府勢力を一掃した日本の内戦。1868年の干支が戊辰だったことからこの名で呼ばれる。
経過
王政復古後、旧幕府を排除して新政権樹立を目指す討幕派(薩摩藩や長州藩が中心)と旧幕府を含めた諸藩連合を目指す公儀政体派とが対立したが、慶応3年12月9日(グレゴリオ暦1868年1月3日)、倒幕派が中心となって新政府の小御所会議を開き、徳川慶喜の官位返上、領地返納を決議。年が明けるとこれに刺激された会津藩・桑名藩の藩兵が大坂から京都に進軍し、これを防ごうとした薩摩藩・長州藩の軍勢(薩長軍)と1月3日(1月27日)、京都南郊外で激突した(鳥羽・伏見の戦い)。結果、薩長軍が圧勝し、討幕派が新政府の実権を握って、慶喜を朝敵とした。
1月6日(1月30日)、慶喜は大坂城を脱出、海路で江戸に逃げ、上野の寛永寺にて謹慎し、天皇に反抗する意志がないことを示す。しかし、新政府は討伐軍を組織し、江戸に進軍させた。
3月13日(4月5日)、旧幕府陸軍総裁の勝海舟は、新政府軍大総督府参謀の西郷隆盛と会談し、江戸開城を決定した。4月11日(5月3日)に江戸城は無血開城したが、幕臣の一部が脱走、上野で抗戦する(上野戦争)。上野戦争鎮圧の結果、新政府は関東地方以西を掌握し、徳川将軍家を駿河国に移した(静岡藩)。
続いて新政府は会津藩討伐を断行。東北諸藩は会津藩への寛大な措置を求めたが、新政府に拒否されたのを機に奥羽越列藩同盟を成立させ、新政府に抵抗した(北越戦争、会津戦争)。しかし、同盟諸藩は各地で撃破され、9月22日(11月6日)会津藩が降伏したことで同盟は瓦解した。
一方、榎本武揚ら一部の旧幕府軍は、8月19日(9月16日)、旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出。北海道(蝦夷地)に向かい、箱館の五稜郭などの拠点を制圧して、蝦夷共和国を樹立した。この政権は蝦夷地に旧幕府勢力の独立政権を樹立することをめざし、明治新政府に敵対するものではなかったが、新政府はこれを認めず派兵した。
明けて明治2年(1869年)、榎本武揚率いる旧幕府軍は、松前、江差などを占領するも軍事的には疲弊しており、徐々に北上しつつある新政府軍に危機感を強め、3月艦隊を陸奥国宮古に送り、新政府軍に対して宮古港海戦を挑んだ。日本史上初の近代海戦となったこの宮古港海戦に敗れた旧幕府軍は、海上戦力で壊滅的な打撃を受ける。
5月18日(6月27日)、五稜郭で榎本武揚らは新政府軍に破れ(箱館戦争)、戊辰戦争は終結した。






