旅順攻囲戦
旅順攻囲戦は、1904年に日本軍とロシア軍の間で行われた、旅順港を巡る一連の戦闘(日露戦争)。 そもそも日露戦争は日本とロシアが満州と朝鮮半島の覇権を巡って争われた戦争だったが、その戦略上、最大の焦点となっていたのが遼東半島の確保であり、そうした事情から開戦直後より半島を巡って激しい戦闘が繰り返された。
ロシア軍がこもる遼東半島の軍港旅順に対する日本軍の総攻撃は5ヶ月計4回に渡り、両軍あわせて20,000名にも及ぶ戦死者を出したが、ひたすら硬直な突撃を繰り返した日本軍の死者はその内15,000名に上っている。
旅順での膨大な戦死者、時間の浪費は、海軍を軽視し、旅順の急所とも言える203高地攻略を優先しなかった乃木希典司令・伊地知幸助参謀の無為無策が原因であると言われている。
旅順の戦況に業を煮やした参謀本部は、1904年12月付で児玉源太郎(満州軍参謀総長)を送り込んで、乃木に変わって指揮をとらせた。日本軍が203高地を奪取したのは、児玉が指揮権を握ってからわずか4日後の12月5日、旅順港内のロシア東洋艦隊の全滅が8日、旅順のロシア軍が日本軍に降伏を申し入れたのは翌元日のことだった。
旅順を巡る戦闘経過






