武田信玄
武田信玄 (たけだ しんげん、大永元年 - 天正元年(1521年 - 1573年)、武田大膳太夫晴信入道信玄)は戦国時代の武将。清和源氏の新羅三郎義光を祖とする甲斐武田氏の第19代当主にあたる。実名は晴信(はるのぶ)。入道して号を徳栄軒信玄と名乗った。
武田信虎の嫡男として生まれる。1541年、家臣団とともに信虎を駿河に追放し、武田家家督を相続する。武田家の領国甲斐を固め、信濃に進出してその全域を征服。1570年までに今川氏真を追い、駿河を併合した。飛騨・上野にも進出し、勢力は越中・美濃・三河・遠江の一部にまで及んだ。
上杉謙信との川中島の戦いが有名。風林火山の旗の元に武田騎馬軍団を率いる勇猛な武将として知られるが、内政にも力を注ぎ、信玄堤にも名を残している。
1572年、上洛を目指して遠江に進み、徳川家康を三方ヶ原の戦いで破ったが、三河に進んだところで病を得て翌年帰路の陣中で没した。
死因については、労咳(結核)による病死説が有力である。徳川勢の鉄砲弾による傷が原因との説もあり、この説によると、武田軍が三河国野田城を攻囲中、信玄が城中から聞こえる笛の音に惹かれてやってきたところを狙撃され負傷したのだという。






