日本社会党
日本社会党 (日本、1906-1907)
1945年の敗戦後に、無産政党の政治家を集めて結成された社会主義政党。片山哲を初代の書記長とし、1947年に内閣総理大臣にした。1951年に左右両派に分裂したが、1955年に合同を果たした。日本社会党は、1955年までは中道政党との連立による政権参与の可能性を持っていたが、この年の保守合同で右側の連合相手が消滅したことにより、選挙での勝利か敗北かを迫られることになった。
結果として、日本社会党は、保守の自由民主党の議席に迫ることができず、野党のまま留まった。右派の一部は、1960年に民主社会党(後の民社党)として、1977年に社会市民連合(後の社会民主連合)として分裂した。しかし、野党第一党としての地位は揺らぐことなく、保守勢力に対する革新勢力の中心として存続した。1980年代以降の社会党は、日本共産党を除き、民社党や公明党などの中道政党と勢力をあわせて連立政権を作ろうという構想をとった。
1993年に自由民主党の分裂をきっかけに誕生した細川内閣に、連立与党として参加した。連立の崩壊後、1994年から1996年には、自由民主党・新党さきがけと連立して、当時、委員長である村山富市を首相に立てた。しかしこの間分党・解党をめぐる論議が絶えなかった。
村山内閣の総辞職後、社会民主党に改称した。議員の中には、同年結成の民主党に合流するもの、同じく新社会党を結成するものがあった。日本社会党 (日本、1945-1996)






