柳原愛子
柳原愛子は、明治天皇の典侍。大正天皇の母。最終位階の正二位を以って柳原二位局と呼称される。女房名は梅ノ井、早蕨内侍など。安政二年(1855)4月誕生。幕末の議奏・柳原光愛の次女、伯爵前光の妹。「筑紫の女王」柳原白蓮は姪にあたる。
明治三年(1870)、皇太后宮小上臈として出仕し、掌侍を経て同六年(1873)権典侍となった。明治天皇の宮人となって、第二皇女・薫子内親王、第二皇子・敬仁親王、第三皇子・嘉仁親王を出産したが、のちに大正天皇となる明宮嘉仁親王のみが成人できた。明治三十五年(1902)典侍に任官。
所生の皇子の即位後、大正二年(1913)七月、正三位皇后宮御用掛・御内儀監督となり、同四年12月1日、従二位に叙された。大正十四年(1925)5月10日、勲一等瑞宝章を授けられた。昭和十八年(1943)10月16日没。
和歌に優れ、宮中歌会始に三回撰歌したという。明治天皇の没後は準皇族の扱いを受け、大正天皇臨終の際、貞明皇后の配慮によって枕辺で別れを告げたという逸話を残す。






